2月ログ

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2004年2月19日 だいすきだったマジさんたちのこと。

このホームページを作ろうと思ったきっかけのひとつは、3rdにマジを作ったこと。
何でそんなことで、HPを作ろうとなんて思うんだろう?と思われるかもしれません。
それには理由があります。
わたしにとって、マジシャン(WIZ)は特別な職業だからです。

わたしはβテストの頃からラグナロクを続けています。
課金後、半年以上引退していたり、嫌になってプログラムを消してみたり、
その度に3時間くらいかけてDLし直してみたり、
課金後の数ヶ月は月に2,3日しかログインしていなかったりしましたが、
それでもかれこれ2年近くのお付き合いということになります。

β1の頃から課金後の少し後まで、わたしはとあるギルドに所属していました。
ギルド、というよりPTです。
ベータの頃は、ギルドはまだ実装されていなくてパーティ機能しかありませんでした。
そのPT機能でさえ貧弱で、PTチャットは常時不通、
ログインしているのに相手が確認できないなんてこともしょっちゅうでした。
このPTの人たちはわたしにとって、本当に忘れられない人たちです。
今となっては連絡すら取り合っていませんが、それでも大事に想っています。

2次職すらいつ実装されるかも定かでなかったβ1〜2のその頃、
このPTのリーダーが火系マジで、サブリーダーな人が氷系マジでした。
当時レベルも低く、PTスキルもステ振りもむちゃくちゃでパーティで最弱のアチャだった私は、
このマジさんたちの圧倒的すぎる火力に本当に憧れていました。
ユピテルサンダーとかナパームビートとか、エフェクトも派手で多彩で一撃必殺。
おまけに氷系マジさんはアイスウォールで色々遊んでいて、
矢を打つのとDSしか出来ない自分はそれがまた羨ましかった。
アチャという職が大好きではあったのですが、無いものねだりというか、
とにかく格好よく見えて仕方が無かったのです。
「いつかマジ作りたいよ」
と言うとパーティのみんなは、
「マジはほんと育てるの大変だから、オススメできないよ」
「まずはアチャをちゃんと育ててからね」
と優しく諭してくれたので、パーティの皆よりレベルが軽く20くらい低かったわたしは、
とにかく今のアチャを何とかして一人前にしようと、まったりながらも努力を続けました。
壁という概念が無かった頃の話です。すでにあったのかも知れませんが、
少なくともわたしは知りませんでした。
ノビから一次職に転職するまでに、3、4日平気でかけてしまうのも珍しくない、のんびりした世界でした。
INT全振りで、ひたすらポリンやファブルを相手するしんどさを経験していたからこそ、
彼や彼女たちは止めてくれたのでしょう。

何となくその頃のパーティメンバーの言葉がずっと心にあって、
そのアチャもハンターに転職してそれなりに強くなって、色々他の職を作ってみても、
なかなかマジには手を出せずにいたのだと、わたしは思います。

だけどある日、わたしは思い切ってスロットの商人を消し、マジシャンを作成してみました。
何となく、過去にとらわれるのも馬鹿馬鹿しいという気持ちでした。
いざ作ってみれば、あっけないものでした。
今所属しているギルドのメンバーと友人にしてもらった壁のおかげで、
一日でそのマジはレベル30半ばまで育ちました。
本当にあっという間のことです。
ふと、昔いたパーティのマジさんたちのことを思い出しました。
懐かしいような、悲しいような気分でした。
何となく、ごめん、と謝りたくなりました。
彼らとは、長く付き合ったけれどその割りにあまりいい思い出の無い別れ方をしていて、
だから気に病むことも無いはずなのですが。だからこそ、でしょうか。
彼らをおもいだして以来、やたらわたしは回想にふけることが多くなったのです。

そしてわたしは今日もラグナロクを続けています。

2004年2月21日 いも三千個と月に負け犬。

「好きな人やものが多すぎて
見放されてしまいそうだ」
ラグナロクをやっていて良く頭をよぎる言葉です。椎名林檎の「月に負け犬」という歌詞の一部です。
この世界には好きな人やものが多すぎます。
だから今は半ば祈りながらこの世界をうろついているような気がします。
だけどラグナの中で人と人の「かすがい」はあんまりにも細くて短くて、
あっというまに途切れてしまいます。

例えば、溜まり場が変わったというようなことで。
例えば、狩場が変わっただけのことで。
例えば、ギルドを脱退したというだけのことで。

それっきりです。
それっきり2度と会えない人が沢山います。
別れてもそれが今生の別れと気付きもしません。
外骨格と名前さえ変えればその人かどうか確かめる術さえ持ちません。
とても儚いなぁ、と思います。

昔「いも」を三千個もらったことがありました。
たまたまイズルートの海沿いベンチで会って話をしたその人は、もう、職業すら思い出せませんが、
やわらかい口調で話す、大人のひとといった感じの方でした。
まだ弱くてお金が無いから矢代ですらきつい・・・・・・とわたしはその人にこぼしました。
別に愚痴というよりは自虐のつもりだったのですが、その人はしばらく黙っていたあと、
「ちょっと待ってて」
とどこかに走っていきました。しばらくたって、帰ってきたその人が
「武器とか物をあげるのは好きじゃないから・・・」
と、取引窓から渡されたのは、いも、イモ、芋・・・おびただしい量の芋でした。全部で3千個ありました。
アーチャーのわたしには持ちきれなくて、倉庫まで2回往復しました。
「これを食べて強くなってね」とその人は笑って言いました。
わたしはそのありえないほどの量の芋を抱えて、何度もうなづきました。
わたしの倉庫がこんなにも回復剤で溢れたことは初めてでした。
「いつかご恩返しします」
「しなくていいよ。だれか同じような初心者さんに、同じ事をしてあげて」
幾分美化されているかもしれませんが、わたしはその人の言葉がとても美しいと思いました。
そのあとしばらく雑談して、くだらないことをたくさん言って、
とても楽しかったのを覚えています。
その後、同じ場所で一度だけその人を見ました。
同じようにベンチに座って、誰かと話していました。
わたしは会話の邪魔をしたくなくて、そこからそっと離れました。
またいつでも会えるし、とわたしは思っていました。
もっと強くなってから「あの芋のおかげで強くなりました」と言おうと思いました。
だけれど確かその頃(多分β1後期だったと思うのですが)、
わたしのいたIRISサーバーの人口は爆発的に増えていました。
2000人後半とかだった接続人数が一気に5000人、7000人と膨れ上がり、
ラグナロクの世界は大幅に変わろうとしている時期でした。
会いたい人に、「あの人のいる狩場に行けばいつだって会える」、
平和な時代は終わろうとしていました。
とめどなく流入する人に流されて、色んな「大事な人たち」は見えなくなっていました。
狭かった世界はどんどん広がって、いろいろなものを見えるようにしてくれたけど、
わたしの目は2つだけだから、結局見れるものはそう大して変わりません。

それっきり、その人に会うことはありませんでした。
それでもわたしは「いつかうろうろしてたらそのうちひょっこり会える」と信じていました。
それからしばらくたってβ2が訪れる頃、もしかして会えないんじゃないかとやっと気付いて、
何度もその人にWISを送ったけれど届くことは無かったです。

わたしは「別れ」を知りました。

そしてわたしは今日もラグナロクを続けています。                                       

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